桃太郎の「おばあさん」はヤバい奴?
〜〜〜〜〜〜〜
細矢です。
チャンスがない。
昔、口癖のように思っていたことです。
TVでみるような成功者を
妬ましく思っていました。
私は決して裕福とは言えない家庭で
生まれました。
昭和に流行した
『積み木崩し』という
家庭崩壊ドラマを見ても、
「こっちの方がまだいいな」
と思える田舎の家庭で育ちました。
正直に家庭の惨状を告白すれば
99%の人がドン引きするほどの
家庭環境でした。
受験勉強でクラスのみんなが
塾に通っている中、私だけは
通っていませんでした。
塾に通えないので中学二年生の時に
初めて参考書を買ってもらったときは
嬉しかったです。
「こんなにも分かりやすい教科書があるんだ」
心がワクワクしました。
そんな家庭に育ったのですから
都会で、もっと裕福な家庭に
生まれていれば、まったく違った
人生はあったかもしれません。
中学生のときは塾に行かなくても
テストの成績だけは
トップ10%以内でした。
家が裕福ならば大学にも
行けたような気もしています。
※高校時代は最下位です(笑)
しかし、私は自分の境遇を
決してマイナスだったとは思いません。
人生の主導権を奪われたとか、
人生がダメになったと思いません。
なぜなら、起業してから10年以上が経ち、
身をもって分かっていることは、
チャンスだけは誰にでも平等にある
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ことを知っているからです。
チャンスはあなたの目の前にも
常に流れているのです。
あなたは『昔話の桃太郎』を知っていますか?
おじいさんが芝刈りに行き、
おばさんが川に洗濯に行ったら、
大きな桃が上流から
どんぶらこ、どんぶらこ、と流れてくる
桃太郎のお話です。
誰が言ったのか覚えていませんが、
この桃太郎に興味深い例え話があります。
あの桃太郎の最大の功労者は、
鬼を退治した桃太郎ではなく、
大きな桃に飛びついた
おばあさんだという話です。
普通ならば・・・、
得体のしれない大きな桃が来たら
逃げ出すのが一般的です。
目の前の仕事(洗濯)があるならば
その仕事に集中するの一般的です。
しかし、おばあさんは洗濯をやめ
何か得体のしれない大きな『桃』に
飛びついた。
普通ならばあり得ない行動によって
鬼退治の物語はスタートするのです。
そして、そのおばあさんの
勇気ある行動によって桃太郎が誕生。
その後、成長した桃太郎は鬼を退治し、
莫大な『宝』を持ち帰ったのです。
これと同じで私たちの目の前には
チャンスが流れている。
もちろん、毎回、毎回が、
大きな桃ではないでしょう。
小枝や小さな葉っぱサイズかもしれません。
でも、ポイントはチャンスの大きさではなく、
あなたがそのチャンスに気付き、
私たちは飛びつくことができるのか?
あなたは恐怖に足がすくむ中でも、
手を伸ばすことができるのか?
目の前の仕事に忙殺されずに
チャンスに気付き、その手で掴めるのか?
そこが重要なのです。
その選択が私たちの未来を変える。
もちろん、偉そうに言っている私ですが、
目の前にチャンスが現れるときは
毎回ビビります。
スルーしてしまう時もあります。
たとえば、不動産投資。
初めて中村さんから投資の魅力を聞いても
『危険』に思えて怖かったです。
得体のしれない大きな桃の中に
鬼が入っているような感覚を受けました。
初めの一歩を踏み出したときは
足がすくみました。
昨日と同じ仕事をしていた方が
楽だったと思いました。
でも、とりあえず掴みに飛び出した。
九州までの飛行機に飛び乗って
中村さんに会ってきた。
その結果、私が掴んだ桃は、
大きな桃だっといえます。
大きな宝を持ち帰ってくれたのです。
これらの経験からいえるように、
チャンスは常に転がっています。
ただ、そのチャンスの多くは、
『危険』と思える世界にある。
これが真実です。
なぜ危険なのかというと、
そのチャンスの多くは
自分の知識の外にある未知の世界。
危険に感じるのが私たちの本能なのです。
しかし、危険に怯え、立ち止まっていたら
チャンスは掴むことができません。
真の成長も、真の感動も、自分への勝利も
危険の先にあるものだと思います。
絶対の自信と恐怖を隣り合わせながら、
血管を拡張させながら行動し、
ぶっ倒れるまで挑戦する。
限界ギリギリのところで己を信じて行動する。
最初は笑われようとも
自分だけの生きざまを見せつけてやる。
そして、手にしたチャンスは、
絶対に手放さない。
淡々と継続し、全力で掴み切る。
それが大事だと思います。
最近、
「私にはチャンスがないんです」
という人に数名ほど会いましたが
チャンスは目の前にあると思っています。
必ずあると信じて行動してみてください。
あなたが危険だと思う一歩先に
チャンスが転がっていると思います。
ではまた!
細矢ますゆき